運命の浜



浜比嘉島は本島から海中道路を利用して車で渡れる周囲6.5キロの小さな島。
車から降りてみると観光客もわナンバーの車も殆ど見当たらず、
そこには波の音だけが静かに響き渡っていた。
浜への地図を頼りに進んでいくと、
急斜面のあぜ道に乗り上げてしまい、その先進めるかビミョーだったので、
車を止めて歩いて行くことに。
ジャングルの中、斜面を登ったり降りたりしながら浜へと進む道程、
草木の隙間からのぞく海はダイナミックかつ穏やかで、
晴々とした空を鮮やかに映し出していた。
波音は囁くように、また時には力強く響き、
その歓迎の歌声に包まれながらわたしたちは浜へと降り立った。


浜には大きな岩が何個も建ち並び、
砂の上にはいろんな形の珊瑚で埋め尽くされていた。
浜は静かでとても穏やかだが、波がうねったときには、
全く違う厳しい表情を見せ、ハッとさせられる。
わたしたちを玩んでいるかのようなその姿は実にワイルド。
でも、また穏やかな表情を見せるときには、
すべてをさらけ出してしまいそうになるくらいに、
大きな懐でわたしたちをやさしく包んでくれる。
裸足になり、珊瑚だらけの砂浜に立つと、
何とも言えない気持ちよさがあった。
踏みしめるごとに、
ゆっくりゆっくり体の細胞ひとつずつが脱力していくのがわかった。
 
あれこれ考える為に来た浜であったが、
自然が織り成すリズムを体いっぱいに感じていたら、
何も考えられなくなってしまった。
波に身をゆだねていると、
ひと波ごとにどんどん自分の心が浄化されていくように、
詰め込みすぎたもの、考えすぎていたことが静かに消えてゆき、
残ったのは視界に入るものだけになった。
目の前にあるふたつの笑顔は、
今のわたしの心を映し出す鏡のようだった。

この数ヶ月わたしは家族のために、
と強く思いすぎていたことに気付いた。
そのために自らの心を曇らせていたこと、
それは家族にとってさぞかし負担だっただろう。
わたしはいつもそう。あれこれ人のためにと思いすぎて、
結局人のためどころか、周りに迷惑をかけてしまう。
自分の心を勝手に自分で縛り付けては、苦しくてもがいてばかり。

傲慢かも知れないけど、心の鏡をしっかり見ることを怠りさえしなければ、
自分自身が幸せな気持ちでいることが何より大切なのだと気付いた。
家族が幸せを感じるときは、自分も幸せであり、
自分が幸せなときもそれと同じなのだ、と。
考えあぐねていたことの答えはとてもとてもシンプルであった。

結局旦那とは具体的なことは何ひとつ話さず、
運命の浜を後にした。

帰り道、ふたりの後姿を見つめながら、
目の前に広がる海を、
清々しい気持ちで胸一杯に吸い込んだ。