シルミチューのおじぃ
この島には琉球王国を作った男女2人の神が眠っている。
沖縄に住むと決めたからには、是非ご挨拶を、
と思い、まずは女性の神様の眠るシルミチュー霊場へ行く事にした。
ここもまた「本当にこんなところに・・・?」
というほどの森奥深き場所である。
心配になってサバニ(漁船)の手入れをするお兄ちゃんに聞いてみると、
やはりその畦道の奥にあるという。
体が浮き上がりそうになる程の凸凹道を抜けた先は・・・
まさにトトロが出てきそうな
緑の生茂った怖いくらいの静寂の森であった。
浜で燃え尽きた娘(笑)が爆睡中だったので、
車にふたりを残して、ひとり鳥居をくぐることにした。
※見てみたい!という方はこちらで映像がご覧になれます。
注意:)いきなし大きな画面で映像が出てきます。 長い石段を昇る足がぶるぶると震える。
ものすごく怖い〜〜〜!
わたしは霊感はないが、勘は鋭いほうだ。
変な胸騒ぎを感じた。
鬱蒼とした森の中にわたしたったひとり。
何に遭遇してもおかしくないシチュエーション。
泣きそうになりながらも頑張って昇りきろうとしたそのとき、
下から物音が聞こえてきて思わず卒倒しそうになった。
「拝みにきたのか?」
地を這うような低い声。
足元にはひとりのおじぃがしゃがみこんでいた。
ヒョエーーーーッ!
お化けが出るか?とおののいていたさっきよりも更におののくわたし(笑)
そのおじぃは千と千尋の神隠しの釜じいさながらの形相でわたしに近づいてきた。
「ハ、ハイ(ビビリながら)」
「内地から?」
「ハ、ハイ(泣きそうな感じで)」
「こっち。」
おじぃはそういいながら手についた土をパンパンと振り落とした。
「何をしていたのですか?」
「草むしり。この草は放っておくと石を割ってしまうから。」
と石に這った草をむしってわたしに見せてくれた。
その草はそこらじゅうにびっしり生えていた。
はっきり言ってとてもひとりでは太刀打ちできないような群生ぶりである。
それをおじぃはひとつずつ朝から夕方までとっているのだという。
「昨日は雨が降ったからこの階段にはたくさんの葉っぱが流されてきた。
それをひとつずつ拾った。雨がすべてを洗い流してくれた。」
おじぃはここを毎日清掃している方であった。
頂上につくと、おじぃはこの神についての説明と(詳しくはコチラ)
女性の神様だから女性だけが中に入れるのだと教えてくれた。
柵の中は洞窟である。その中に女性の神が奉られているのだ。
促されて中に一歩入ると、ううう、何とも物々しい雰囲気である。
ここで引き返してしまいたい衝動に駆られたが、もう後には引けない。
怖いのと、拝み方がイマイチわからないので、
助けを求めようと入り口を見てみると、
おじぃは気を利かせて席を外してしまっていた。
恐る恐るひとり神前に進むと、不思議なことにさっきまでの恐怖感は全く無くなった。
何を拝むでもなく、何を思うでもなく、
わたしはただただそこで心の平穏を感じていた。
|
外に出ると、おじぃは入り口の傍でわたしを待っていてくれた。
どちらからともなく、大きな石にふたりで腰かけた。
おじぃは東京と千葉に住む沖縄料理屋さんを経営するご兄弟のこと、
わたしは家族のことなどを話し始めた。
話が進むごとにおじぃは素敵な笑顔を見せてくれるようになった。
(仏頂面の理由は、単にシャイなだけだったのかも。) 話が弾んだところで、ここを掃除している理由を尋ねたら、
おじぃはゆっくりこう答えた。
「ここを世話した女性が全員亡くなった。だから今は男のわしがここを掃除している。
皆一生懸命神様のお世話をしていたんだよ。
だからわしはそれをただ受け継いでいるだけ。」 信仰心からだと思っていたおじぃの清掃は、
亡くなった人の意思を受け継ぐという、
とてもシンプルなものであった。
その人たちのことをいとおしそうにしあわせそうに話すおじぃを見ていたら、
急に涙が出てきてしまった。
おじぃのまなざしに、その女性たちが映し出されているようだった。
恐怖感とは程遠い、とても清楚で穏やかな情景であった。
おじぃの話を聞きながら、
わたしは亡くなってしまった大切な命を想った。
そして気が付くとペラペラそのことを話してしまっていた。
父のこと、それから生まれる前に亡くなってしまった子供のこと・・・
何を話したかはあまりはっきりと覚えていない。
沖縄に発つ前に読んだ永六輔の沖縄本にこう記されてあった。
「沖縄では生きている人が亡くなった人と心を寄せ合って生きている。
だから霊や魂がいつも身近にある。」
内地では死者のトシを数えるな、
とか亡くした子のことは早く忘れろ、
など無理矢理心から死者を切り離す言葉をよく用いられる。
ここ沖縄では大切な人が亡くなった後も、ただ純粋に、
生きている時と同じように大切に思うことが許されている。
それはとても自然なことなんだと、おじぃと話してしみじみ思った。
死の元に生があり、わたしたちはこうやって生きている。
そのことを心に留め大切に思うこと、
それをたびたび否定され、いつの間にか、
亡くなった人の話をすることを慎むようになった。 だからこんな風にやさしく微笑みながら話を聞いてもらえたことが、
とてもとても嬉しかった。 同じ想いを誰かと共有することで、初めて得たやすらぎ。
生と死について思い悩んでいた長年のわだかまりを、
わたしはこの時、やっと解放することができたのだ。
そして心が解かれたとたん、不思議なことに、
父よりももっと前の世代にも思いを馳せていく自分がいた。
草木や鳥や虫・・・身の回りのすべての命にも。
こんなことは生まれて始めてである。
これを森羅万象というのだろうか?
人間はひとりの力でここに今こうしているのではなく、
目に見える周りのすべての命とともにあり、
目に見えない太古からの生と死の営みの中でもたらされた
かけがえのないものであると。
自分の生、そして家族の生に改めて心から感謝した。
それまで神様への信仰心はわたしには無かったが、
ここにはすべての生と死の連鎖を感じることが出来る何かがある。
それを感じることが出来た今、
少しだけ神様を信じてみてもいいような気がしてきた。
そこでわたしはハッと我に返り、
娘と旦那が心配になり急いでおじぃに別れを告げた。
「何かあったらいつでも連絡して。」
とおじぃは連絡先を教えてくれた。
また絶対会いにくるからね。と何度も手を振り別れを惜しんだ。
車では旦那が心配そうに待っていた。
わたしの中で5分くらいに感じた霊場での出来事であったが、
時計の針はその10倍の時を刻んでいた。
|
シルミチューのおじぃこと、前外間さん。 仲良くなってから撮影したので、こんなお茶目なポーズです。 本当は最初のもっと険しい形相の彼を撮りたかったなぁ(笑) 「HPに載せるので、ひとこと」と言うと「いいさ。」とまたもや恥ずかしそう(笑) ここを訪れる際は、彼が毎日心を込めて清掃されていることを どうか忘れないでくださいね。 |